量より質、何時間も練習するより、質の高い練習を短時間集中して行ったほうが良いという格言がたくさんあります。
これは、質というものがどのようなものかということがわかっている人にとっては、非常に的を得たアドバイスだと思いますが、質というものがどのようなものか今ひとつわからないという人にとっては、危険なアドバイスではないかと思います。
というのは、ある人にとって質の高い練習が、必ずしも、他の人にとって質が高いとは限らないのではないかと感じるからです。
だからこそ、ピアノ教育のメソッドが多数存在するのではないでしょうか。
私自身、猛練習より知的練習が大切とか、先に申し上げたような質の高い練習を短時間集中して行ったほうが良いといった名ピアニスト達の格言を真に受け、また、猛練習や長時間の練習をせずに上手になるのであれば、それに越したことはありませんので、それを実践してみようと試みたことが何度もありますが、そのような練習が効を奏したことは一度もありませんでした。
最後にはいつも、たくさん練習するしかないんだという結論に辿りついてしまいます。
このような格言を残した名ピアニスト達を調べてみると、ピアニスト人生のどこかで、猛練習や長時間の練習をした時期があったということがわかりました。
つまり、このような格言は、猛練習や長時間の練習の果てに辿りついた結果であり、私のような凡人が結果だけ真似しようとしても、どうにもならないというのが現実のようです。
質というものがどのようなものなのかを知るためには、量をこなさなくてはならないというのが、私のこれまでの経験から得た答えです。
おまえの練習のやり方が悪いだけだと言われてしまえばそれまでなのかもしれませんが、たとえ質というものがわかったとしても、その質を完全に自分のものにするためには、何度も繰り返すしかありません。
ラクにピアノが上手になる方法はないものかと長いこと探し回ってきましたが(実は未だに探しています)、簡単に上手になる方法はあっても、ラクに上手になる方法はない、というのが、私の今のところの結論です。
簡単に上手になる方法というのは、このような練習が必要であるとわかったら、後はそれをひたすら繰り返し続けるということです。
10回でできるようにならなければ20回、20回でダメなら40回、40回でダメなら80回・・・という具合に、できるようになるまでひたすら繰り返し続けます。
練習そのものは、非常に簡単なものです。
問題は、その練習をできるようになるまで、ひたすら繰り返し続けることができるかどうかということです。
では、量さえこなせばそれでいいのかと言うと、必ずしもそうとは言えないところに、ピアノの難しさがあるように思います。
例えば、野球の練習の一つにバットの素振りというものがあります。
これは、明らかに量がものを言う練習ですが、バットの持ち方におかしなところがあったとしたら、何千回素振りをやっても、効果は上がらないでしょう。
同様に、ピアノの場合も、手のフォームや指の動かし方がピアノ向きではない方法で大量に練習をしたとしても、効果は上がりません。
少なくとも、私の場合は効果があがりませんでした。
ピアノの基本についてで述べたとおり、私は長いこと音階が弾けない、早いパッセージが弾けないと悩んできましたが、私の場合は、基本となる手のフォームや指の動かし方に問題があったため、何時間練習をしても効果が上がらなかったということがわかりました。
ピアノ向きの奏法を理解した上で、それが身に付くまでひたすら練習をする。
このように考えて見ますと、ピアノの練習というものは、『練習』というよりも『作業』という言葉を使った方が良いのではないかとさえ思います。
そして、このような作業を繰り返していくうちに、次第に質というものがわかってくるようになり、そこから質の高い練習というものが生まれてくるのではないかと思います。
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